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「加藤合同国際特許事務所~知財とびうめ便り~」 Vol.86
発信日:2022年 9月 1日 発信者:加藤合同国際特許事務所
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◇ 目 次 ◇
1.弁理士コラム
◆私の知財との出会い
2.知財ニュース
◆日本初の特許第1号は漆を使った塗料に関する技術
3.連載 知財講座
◆第86回:実用新案「実用新案技術評価書」
4.所員ほのぼの日記
◆我が家のコロナ体験記
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1.弁理士コラム
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◆私の知財との出会い
初めまして、弁理士の松原と申します。今回、初めて弁理士コラムを掲載させて頂くことになりましたので、自己紹介を兼ねて、これまでの経歴のなかで知財にどのように関わり、そのときの知財の内容について改めて考えてみたいと思います。
出身は、鹿児島県の出水市で、上智大学の理工学部で機械工学を専攻し、その後、主に当時の通商産業省福岡通商産業局(現在は経済産業省九州経済産業局)に勤務し、原子力発電所の管理・監督、工業標準化業務(JIS)、エネルギー環境広報業務(セミナー等の開催等)を担当し、定年後は、(独)中小企業基盤整備機構においてサポイン事業(戦略的基盤技術高度化支援事業(補助金))、ウェブマッチングサイトによる販路開拓等中小企業の支援を行ってきました。
これまで知財との関わりは広報事業で著作権の取り扱いを整理したくらいで、知財とは縁のない業務に従事してきました。
大学の選択科目として特許庁審査官の特許について講義があり、これが知財の道に入る端緒となったと思います。講義では登録要件の新規性、進歩性、先願主義等の話はされたのだと思いますが、全く記憶に残っておりません。但し、レポートの題目が、「プログラムは特許となり得るか」で、当時は、スマートフォンはおろかパソコンもない時代でしたので資料収集に苦慮しました。
そこで国会図書館で特許関係の本を借り、関係しそうな箇所を参考に、根拠は全く有りませんでしたが、苦心惨憺して「プログラムは特許することができる」と結論してレポートを提出したことがあり、それ以来知財を心の隅に意識しながら本日に至っています。
当時は、コンピュータ業界はIBMの独壇場で、国内企業がこれに追随するため激しい開発競争をしていた時期で、ハードウェアだけでなくソフトウェアの権利についても着目されていたのではないかと思います。
また、審査官が出願の審査において適用する一般的な指針である審査基準に「プログラム」が登場する2~3年前のことで、当時「プログラム」の権利化について業界での議論がなされていたのではないかと推測します。ちなみに、「プログラム」は、それから約30年後の2002年、特許法第2条第3項第1号に物の発明として明記されるに至っています。
そこで、「プログラムは特許となり得るか」について、改めて審査基準に沿って考えて見たいと思います。
特許となるためには、発明であること(発明該当性)、産業上利用できること、新規性・進歩性等の登録要件を満たす必要があり、ここでは発明該当性について述べてみたいと思います。
審査基準においては、発明に該当しないものとして、天然に存在するもの、永久機関などの自然法則に反するもの、自然法則を利用しないもの等を規定しています。
これを「プログラム」について当てはめてみると、「プログラム」自体は自然法則を利用したものであるかは疑義がありますが、審査基準では、「プログラム」が機器類に対する制御を具体的に行うもの、または、対象の物理的性質等に基づく情報処理を具体的に行うものは全体として自然法則を利用しており発明に該当するとしています。
例えば、「プログラム」による情報処理がコンピュータを用いてなされた場合や、「プログラム」がコンピュータハードディスク装置を制御したり、また、コンピュータは電気の流れという物理的性質を利用していることから発明に該当する可能性があると言えます。
大学で講義を受けてから数十年が経過し、巡り巡って知的財産に関わる機会を頂けましたことに感謝するとともに、これからは微力ではありますが知的財産の進展のため精一杯努めたいと思いますので、どうぞ宜しくお願いします。
弁理士 松原 正美
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2.知財ニュース
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◆日本初の特許第1号は漆を使った塗料に関する技術
日本経済新聞は8月14日、特許に関する興味を引く記事を報じました。一部紹介します。
江戸から明治になり、日本でも多くの優れた発明が生まれるようになりましたが、同時に発明の盗用問題が顕在化していきました。そのため、特許制度を早く制定することが必要不可欠でした。
そして、1885年4月18日に専売特許条例が公布されました。初めての特許付与がなされたのは、1885年(明治18)8月14日で、その日に「生茶葉蒸器械」「稲麦扱機械」など7つの特許が認められました。
そのうち栄誉ある日本の特許第1号に輝いたのが、堀田 瑞松 氏が特許出願しました「堀田式錆止塗料とその塗法」です。鉄製の船底や機械などに塗布して錆(サビ)止めをする塗料に関する特許発明でした。堀田氏はもともと美術工芸家で漆工芸を通じて漆の防錆効果を認識していたため、漆を主成分とする錆止塗料を着想することができたと考えられます。
特許第1号から100年以上が過ぎ、現在は日本の特許出願件数は2001年(約44万件)をピークに減少傾向が続いています。徐々に減少をしつつも2019年までは30万件を超えていましたが、2020年は28万8472件、2021年は28万9200件と30万件に達しない状況になっています。
しかし逆に、日本国特許庁が受理した特許協力条約に基づく国際出願(PCT国際出願)の件数は、2019年(51,652件)までは増加傾向でした。2021年は49,040件となり微減したものの依然として高い水準を維持しています。海外出願への重要性が増していると考えられます。
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3.連載 知財講座
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◆第86回:実用新案「実用新案技術評価書」
特許と実用新案の違いは色々とあります。例えば、特許には審査がありますが、実用新案は無審査で登録になります。登録になれば権利があるということになりますが、無審査であるために、権利の有効性に疑問が生じます。
一方、実用新案法の「第二十九条の二」では、実用新案権者(中略)は、その登録実用新案に係る実用新案技術評価書を提示して警告をした後でなければ、(中略)その権利を行使することができない、と規定されています。
従って、権利行使には、実用新案技術評価書が必要となります。
実用新案技術評価書とは、特許庁の審査官が先行技術文献の調査を行い、新規性や進歩性などについて評価することで、実用新案権の有効性についての客観的な判断材料となるものです。
実用新案技術評価書は、実用新案技術評価請求書を特許庁へ提出して評価を受けることで得ることができます。
実用新案技術評価請求書の提出(実用新案技術評価の請求)は、何人でもできます。
そのため、自身の実用新案登録だけでなく、他人の実用新案登録も実用新案技術評価の請求ができます。
例えば、侵害調査をしたときに自身の製品と同様の実用新案が発見されたとします。そうなると、もしかすると他人の実用新案権を侵害しているかも知れません。
そうした場合に、この他人の実用新案に対して、実用新案技術評価の請求を行うことで、他人の実用新案権の有効性を確認することができます。
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4.所員ほのぼの日記
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◆我が家のコロナ体験記
「〇〇さんのお父さんですか?」
この1本の電話が、我が家の2週間におよぶ戦い(?)の幕開けでした。
弊所の休日は官公庁に準じており、夏期休暇がありません。しかし、今年は13,14日が休日なので、山の日と合わせた連休にして、地元の両親に孫の顔を見せに帰省しようと考えていました。
気になるのが、7月から激増し、未だ猛威を振るっている新型コロナウイルス感染です。普段から外出時のマスクと消毒を心がけているし、妻とともにワクチン3回も接種したし、まあ大丈夫だろうと比較的楽観視していましたが、地元の両親は高齢と言えるので、万が一を考えて、8/7(日)に福岡市天神の「天神PCRスピード検査センター」に行き、私、息子、娘の3人でPCR検査を受けました。
電話はその数時間後、検査センター提携の病院からで、息子が陽性判定というものでした。私と娘は陰性でした。
息子は朝からすこぶる元気で「検査ミスじゃないですか?」の言葉が喉元まで出掛かりましたが、その言葉に意味がないのは明らかです。電話越しに問診を受け、そそくさと家路につきました。
濃厚接触者にあたるので翌日からの仕事をテレワークにし、地元の両親にも帰省を断念することを伝えましたが、息子は変わらず元気だったので、検査結果は半信半疑でした。
しかし、翌日に息子の熱が上がり始め、火曜には39℃に達しました。同じ頃、私も手足に若干の痺れを感じ始め、おやおや?と思っていると水曜には微熱が出てきました。同じタイミングで妻も似た症状が出ました。
これは家庭内感染濃厚と思い、祝日(山の日)明けの金曜日、私、妻、娘の3人で近くのクリニックの発熱外来を受診しました。検査後、お医者様から苦笑いの一言、「・・全員陽性ですね。」
解熱剤や痛み止めなど、2週間の家族分の薬をこんもりと処方され、帰りの足で食料を買い込みました。丸一週間、誰にも会わない自粛生活です。
その間、娘の熱が40℃まで上がり多少アタフタする事もありましたが、それが治まると平和そのもの。私がポチポチとテレワークしている横で3人が川の字でゴロゴロ、そんな一週間でした。
私は、最初に症状が出た8/9起算の10日間カウントで19日までが療養期間でしたが、陽性が確定した12日にはもう症状が無くなっていたので、それから1週間家に籠らないといけないのはかなりの苦痛でした。
とは言え、症状が出たタイミングを考えると、天神で検査をした数日前に息子がどこかで感染し、その検査の前後で私と妻に移り、さらに、息子を別室状態にしていたときに私か妻から娘に移ったと思われますが、最初の検査をしていなければ、私や妻が職場等で広めてしまう可能性がありましたし、もしも息子が無症状だったら地元に帰省したと思うので、高齢の両親に移してしまう可能性もありました。今に思えばあのタイミングで検査をして本当に良かったです。
あれから一週間、ワクチン接種のおかげ・・かは分かりませんが、後遺症もなく皆元気です。そして、我が家の夏はこれからです!